社員インタビュー 「ジブンゴト化」の体現(能村嘉乃)

INTERVIEW / 2024.07.26

再生研スタッフを通して再生研の【行動指針】を紐解くインタビュー!

 

再生建築研究所は、「再生建築を文化にする社会のしくみをつくる」というミッションのもと、5つの行動指針を策定しています。

① 思考の独立性

② 他者への共感性

③ ジブンゴト化

④ 化学反応を起こす

⑤ ぶれない探求心

 

「言うは易し」の行動指針、再生研スタッフはどう体現しているのか、「じぶん」を棚卸ししながら語ります。

 

2018年 京都工芸繊維大学建築学専攻を卒業し、同大学院在学中にTH Köln(ドイツケルン応用科学大学)に留学、

現地でのインターンを経験

2021年 京都工芸繊維大学大学院建築学専攻 修了

『神田錦町オフィスビル再生計画』『HAMACHO FUTURE LAB』、広報などを担当。

 

 

今回の行動指針:ジブンゴト化

自分の目の前の物事だけでなく、組織の代表と同じ目線を持ち、再生研のあらゆる取り組みを自分事として捉え、行動する

 

 

海外で受けた衝撃と価値観の変化

建築との出会い

母親が美術館やアートやインテリアが好きだったこともあって、小さい頃から絵を習っていました。何かを作ったり描いたりして形にしていったり、自ずと何かを表現することがすごく好きな子どもでしたね。高校生の時に進路を考える中で、母方の叔父さんから、「建築を学んでみたら?」と勧められたことがきっかけのひとつになっていると思います。建築は物事を組み立てて考えるから歴史や物理などこれまで勉強してきたことが活かせるし、何かを表現するというのも向いてるんじゃない?と。建築について色々と調べていたら、グンナール・アスプルンドが設計した図書館(スウェーデンストックホルム市立図書館)が出てきたんです。モダンで歴史的な美しさがあって、一番最初に心惹かれた建築です。こんなに素敵なものを作れるなら!と思って進路を決めました。

小学校5年生の時に地元の金沢に21世紀美術館が出来たことも何かしら影響しているかもしれません。金沢は元々アートの文化を持つ都市ではありましたが、21世紀美術館の開設をきっかけに金沢駅も含めてエリア全体、金沢の街そのものがすごく変わっていく姿を目の当たりにして、漠然とですが、こういうことが出来たら素敵だなと思いました。小学生でSANAAという建築家を知ることになりましたし、無意識のうちに建築に触れたり空間を体験したりする機会がありました。

 

ドイツ留学で受けた衝撃と絶望

留学のきっかけはあまりポジティブではないんです。元々デンマークの学校を希望していたのですが、留学生からかなり人気のある学校で、選考で落ちちゃったんです。でもトビタテ(文科省が2013年度から官民協働で取り組んでいる留学キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」)は合格していたので留学しないともったいないなという状況でした。その段階で選べる国はフランスとドイツとベルギー。すごく単純な理由ですが、大学1年の時にドイツ語を履修していたのと、当初の留学計画からドイツの学校であれば大きく逸れることもないということもあってTH Köln(ドイツケルン応用科学大学)を選びました。

実際にドイツに行ってみると、色々と衝撃を受けましたし価値観がすごく変わりましたね。私が通っていた京都工繊は、建築の中でもデザインとか構造とか設備とかある中で、意匠、デザイン系が強くて花形でした。デザインが花形だし、私は負けず嫌いだし、この学年で一番を取る!という勢いでやっていたので、常に建築のことばかり考えていました。建築のことに真っ直ぐじゃないと誰かに負けてしまうんじゃないか、とすごく怖くて。ずっとずっとそれで走り続けていたので、時間さえあれば建築を見に行ったり雑誌をめちゃくちゃ見たり。だけど留学したら同世代の子達は社会に対する関心が強くて、日本ではSDGSが謳われる前だったけど、みんな当たり前のように環境について話すし、プラスチック製品を使っているだけで怒られましたね。日常会話では隣の国の政治の事や、今度私の国の地域の知事選挙があってそれがすごい大事で、みたいな話を当たり前にしていたり。LGBTQも日本より進んでいましたし、みんなの語る内容が建築だけじゃなくて、社会に対する視座がすごく高いんです。自分は今まで狭い世界を見ていたんだなって、めちゃくちゃハッとさせられました。自分の価値観が大きく変わりましたね。日本と海外の違いを感じて当時は自分の国に絶望していました。

 

日本とドイツ、働き方の違い

インターンは留学最後の半年間に週に3日程度働いていました。留学先の学校でかつて先生だった方が日本大好きで、坂茂さんのところで働いたこともあったという縁もあり、インターンとして働かせていただくことになりました。

既存のリノベーションのプロジェクトを3つほど手伝わせてもらったのですが、模型を作ったり、図面を起こしたり、現地に行って測ったりしましたね。

ドイツのプロジェクトは8割くらいが既存のリノベーション。私が手伝っていたものも新築は1つもなくて、建物を活用するのが基本でした。会話の中で、既存建物を活用する方が国からの補助金が出たり、新築の方が煩雑な制度になっていたり、という背景があると聞いていて、そもそも文化や土台が全然違うんだなと感じました。今思えば、この経験が再生研に入るきっかけだったかもしれません。

あと、ドイツ語や英語は日本語と比べると言語の構成も伝え方も違うんですよね。日本語って表現が曖昧で相手の雰囲気を見ながら最後の結論を変えられるけど、ドイツでは最初に言い切ったことは最後まで説明しなくちゃいけないし論理的であることが求められる。空気を読むことが出来る日本語とは圧倒的に違いますよね。言語の組み立て方が違うから頭の中の整理の仕方も違うんだな、と思いながら帰国しました。それから向こうではボスと当たり前のように喧嘩したり、その後はケロッとしていたり。すごくストレートで気持ちよかったですね。

 

再生研への共感

日本に絶望しながら帰国したので、この国で働くのは無理だと思って、もう1年インターンに行ってそのまま海外で就職しようかな、それとも海外の大学に行こうかな、と考えていました。そんな矢先に新型コロナウィルスの感染が拡大して計画が全部無くなってしまったんです。だから一度日本で働くしかないのかな、と求人をチェックしていたら再生研の人材募集記事に目が留まって。読んでみるとまさに自分が海外で感じていたことを疑問視していて、日本の建築の仕組みまで変えようとしている。そんなことを文脈から感じて応募しました。

日本は新築か再生かの2択ですよね。神本も言っていますが、再生するのが当たり前という世界観を描きながら社会の仕組みと一緒に変えようとしている、このパワーというか原動力に共感しました。ドイツでは既存の改修が当たり前と話しましたが、一つの小さな事務所がどれだけリノベーションの数をこなしていても周りの社会を変えないと意味がない、とドイツの改修文化を見て痛感してきました。ただ物を作ってデザインするだけではなく、自分の価値観として社会と未来にとって何が大事かを見据えた上で手に職をつけたかったので、再生研ならそれができると思ってジョインしました。

 

 

ジブンゴト化の視点

これまでのキャリアを振り返って

組織ー例えば大学もそうだし、家族もだし、いろんなところに属するじゃないですか。それらの組織の中で常に「自分がなぜそこにいるんだろう」と考えなきゃいけないなと思っています。自分がそこにいる理由を見出すために大事にしているのは「ジブンゴト化」です。例えば、1年目の時って何もできないですよね。でも何かしなきゃいけないという状態の中で、できることは少ないけれど、与えられたプロジェクトを自分のプロジェクトだと思って、「何ができるだろう」と常に考えるようにしていたんですね。上司に振られるまで待っているのではなくて、ちょっと背伸びするかもしれないけど、私ができることはこれかもしれないっていうところを考え続けてやり続けてきたと思っています。

最初はプロジェクトマネージャーである上司のもとで私はスケジュールやタスクの管理、各種検討のサポートをすることから始まり、2年目で携わった浜町(東京・日本橋浜町)のプロジェクトでは表立って基本計画から設計、工事監理まで上司と一緒に表に出て、中心になってやらせてもらえました。今はみなかみ(群馬県みなかみ町)のプロジェクトをプロジェクトマネージャーとして進めています。

 

みなかみ町の廃墟旅館のプロジェクトでの現場打合せ風景

 

1年目から培ってきた経験によってスキルや経験知識が上がり、ステップアップさせてもらえていると感じています。とはいえ失敗だらけではありましたし、自分の知識の無さから関係者を振り回してしまったり、あり得ない納期をお願いしてめちゃくちゃ怒られたこともあります。任せてもらうこと、ちょっと背伸びする時に失敗はつきものですが、その後をチームでどうカバーできるか、そして自分自身の今後にどう活かせるかがすごく大事だったと感じています。私はこれまでの経験から、失敗から学ぶのが1番早いと感じていますが、「ジブンゴト化」しているかどうか、つまり、誰かの失敗に対して、他人事ではなく、自分は何ができたのかをどの立場でも考え続けることによってもっと成長できるし、これまでの3年間はまさにその経験で詰まっていたなと思っています。再生研はノウハウの塊なので、いかにより多くを見る機会を作れるかが大事ですし、その時に「ジブンゴト化」の視点が不可欠だと感じています。

再生研にはプロジェクトを進める4つのチームがあり、それとは別に品質・意匠・再生・新領域といった部門があります。プロジェクトで悩むことがあれば部門のベテラン勢に相談したり図面をチェックしてもらえる体制が整っています。
錦町(東京・神田錦町のプロジェクト)の計画の時に、改修後にどう納めたら良いか全く分からない部分があって意匠部門の上司に相談した時に、「どうしたらいいですか?じゃなくて、私はこうだと思うんですけど、これってどうしたらいいですか?って聞き方をしないとダメだよ」と言われて。すごく大事な視点ですよね。まずは自分で考えてみる、描いてみることは今もずっと意識していますし、考えて、間違えて、教えてもらってを繰り返す、があったからいろんなことを任せてもらえたな、と感じています。そしてそれをバックで支えてくれるベテラン勢がいたこともすごく大きかったです。

設計以外にも、新領域や広報チームも興味があって入らせてもらっていたこともあり、1、2年目から神本が再生研をどう語るのかを隣で聞く機会が多かったので「再生研って何をしているんですか?」と聞かれた時にサラッと言葉にできるようになりました。与えられたものだけをやっていると与えられた範囲でしか経験を積めないので、その中でいかに自分ごとにできるのか、自分の能力の最大値を2倍にするためにはすごく大事なことだというのは、この3年間を振り返って感じています。そして、「ジブンゴト」にとらえて、やりたいと思ったら建築以外のことでもやらせてもらえる環境もありがたかったなと思っています。

 

能村的愛で(めで)ワークス

めちゃくちゃニッチなとこなんですけど、錦町に代替進入口用に作った手すりがあるんです。道路側のバルコニーに設けているのですが、可動式で外せるんですね。初めて上司の初期スケッチ無しで自分でスケッチを描いて、もうこれで作れるんじゃない?というところまで何度もやりとりしながら形になって。最後はみんなからうまくできたねと言ってもらえて嬉しかったですね。錦町では自分で描いた線がそのまま立ち上がるという経験をたくさんさせてもらいましたが、その中でも特に綺麗な形で収めてもらったところが愛でポイントです。

あと浜町の階段は全体的に愛でています。たくさん描いたので(笑)。再生建築ならではの階段です。

 

再生研と出会って得られたこと

建築の領域にとらわれない、いろんな面白い方と会話する機会がとても多いことですね。昨年、一昨年は「サイセイ」を考えるのに様々な領域の方と話す機会が多かったです。それこそ自分が海外にいた時に感じた「建築以外のことまで視野を広げてちゃんと興味を持てるのか」に繋がっています。社会の中で自分や再生研がやっていることがどういう立ち位置なのかを考える中で、領域外の人たちと出会って会話をする機会があったことは、とても充実感がありました。

基本は再生案件が多いですが新築案件もあって、0の状態から作る新築と、あるものをどうするか逆算的に考える再生は、頭の使い方が全然違うと感じました。逆算の建築の捉え方は学生の時は無かったですし、錦町は1年目に解体の現場から入ったので、剥がれていく様を見て、ああ、建物ってこういう風に作られているんだ、と逆算的に見ることができたこと、改修を見据えて解体ラインを決めていくことにワクワクしたのが忘れられないです。

あと、私、立体把握がすごく苦手だったんです。基本的に2Dの頭の人だったので、複雑な取り合いの連続の中で、現場で上司や施工者さんが話す会話についていけなくて。ただ、ありがたいことに今は3Dソフトがあるのでそれも活用しながら、時間はかかっても分かるまでスケッチをたくさん描いて、現場の中でたくさん訓練させてもらえたと感じています。自分が苦手だったことをガッツリとトレーニングさせてもらえたなと思っています。

 

 

ポジティブな変化を与えられる人に

挑戦し続けたいこと

高校生や大学生の頃から、社会や世の中を一つでも良くできるような人間でありたい、と思っていたことを、再生建築を通じてできるかなと思っています。何かしらのインパクトを与えられる瞬間に、そこに自分がいたいというか。組織を変えるのでも社会を変えるのでもいいのですが、ポジティブな変化を与えられる人でいたいので、そこは挑戦し続けたいです。日本では、融資する時に既存の建物の評価が低いことはドイツ留学から帰ってきてすごく疑問に思っていましたが、その評価が変わるかもしれないという動きを再生研はやっている。そういう瞬間に居られたらいいなと思っています。私が責任者として進めているみなかみの廃墟の再生は今までやったこともない規模、やったこともない座組なので雲をつかむような感じではありますが、これが実現した時にみんなで「大変だったね」と言えたらいいなと思っています(笑)。

 

子どもの頃は21世紀美術館によって自分のまちが変わる瞬間を見てきました。今度は私たちが手がけた案件によってまちや社会が変わる瞬間を、まちの人たちや協力会社さんたちと一緒に見ることができたらいいなと思っています。

 

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